なまけものの人生記録

私のちょっと変わった経験をシェアできたら嬉しい

ニートの行動

前回の記事で、高学歴ニートについて書いたが、

私自身1年ほどニートを経験した。

 

ニートがやった、最初の決断と行動は、

NPO職員になることだった。

 

正直失敗した。

 

とにかく考えずに行動しろ!と世間の人達が言うから、

「人の役に立つ仕事がしたい」という自分の考えだけを信じて

行動した。

 

やってみて感じたことは、自分がその仕事に向いていないということ。

 

大企業で働いていると、なんのために生きているのかわからなくなっていた。

それが嫌だったので、「人の役に立っていると感じられる仕事がしたい」と

思ったことがきっかけだったが、

そもそも私は、人の役に立つために自分を犠牲にできる人間ではなかった。

そんなことすら、わかっていなかった。

NPOでは、それが当たり前に求められる。

それもわかっていなかった。

 

自己理解も、仕事理解も、まるでできていない。

なぜなら、小さい頃にトライアンドエラーを繰り返していないからだと思った。

トライアンドエラーを繰り返すことで学んでいくと思う。

 

今、転職という決断と行動をとってみてようやくわかることが増えた。

自分の好き、嫌い、得意、不得意。

親に与えられた人生を生きていると、そんなことすらわからなくなっていく。

当たり前に家があり、食事が出てきて、服を着てでかける。

衣食住1つとっても、

こんな家がいい、こんな家具がいい、あれを食べたい、これを着たいと、

本来もっと自我が芽生えてくるはず。

親に与えられた人生を生きていると、その自我がまるでない。

いつまでたっても芽生えない。

小さい頃に、意思を奪われているので、意思を持つとはどういう感覚なのか

わからなくなっている。

 

とにかく考えずに行動しろ!というけれど、

自分自身がよくわからない状態で行動するとこんなことになる。

手探りで動いても失敗しか生まない気がする。

たしかに、考えているより学びはたくさんあったけど、

職歴は傷ついた。社会的地位と給料と休日を失った。

今後もずっと、なぜ退職したのか、ブランクはなにをしていたのか、

なぜNPOに入ったにすぐに転職したのかと聞かれることになる。

淡々と答えればいいのだけれど、

「普通の人」と戦ったときに、劣る気がする。

社会的地位も、なくてもいいのかもしれないけど、

私が「幸せだな」と感じるためには、社会的地位や給料や休みが

やりがいよりも必要だということも、失ってみてから気が付いた。

 

そんな失敗も自分の人生で、自分の責任で、

(責任を取り慣れていないので辛いなと思う)

 

これからの人生も自分の責任で、自分の自由なんだってことを

(もう失敗して傷つくのが嫌すぎて自由だと言われても行動したくないと思う)

 

今、失敗してみて気が付いている。

 

 

大人になってから行動すると、失敗しづらいし

失敗したとき失うものや傷つきも大きいから、

行動するときは慎重にと言いたい(笑)

世間の人々の、考えずにとにかく行動!みたいな

パワーワードには負けずに(笑)